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東京ビジネスシーンの最前線から沖縄で挑戦する理由 株式会社琉球ウェルネス 道廣 敬典さん

超高層ビルに囲まれたオフィス街でリターンを得てしまったら、もうそこから動けないだろうと勝手に思っていた。
いわゆる‘東京のIT業界ド真ん中でバリバリに働いていた人間’が、なぜ沖縄で勝負を仕掛けたのか。それは「東京から見た沖縄」「沖縄から見た東京」という二つの視点を掛け合わせたところから始まった。

 

道廣 敬典(みちひろ たかのり)株式会社琉球ウェルネス代表取締役社長

大学卒業後、リクルートエージェント(現リクルート)に新卒として入社。中小から大手まで幅広い法人顧客の中途採用支援を担当したのちに、サイバーエージェントに中途入社。サイバーエージェントでは、広告事業における営業から始まり、新規事業開発 / 組織開発や新卒・中途両方の採用など、幅広い業務に従事。その後ヘイ株式会社(現STORES)に入社し、子会社経営 /経営チームメンバー・執行役員 VP としての全社マネジメント / 横断ビジネスチームの立ち上げを担当。

現在は沖縄での起業準備中で、2023年1月に新会社「株式会社琉球ウェルネス」を創業予定。

 

 

【「ウェルネスツーリズム」を提案】

東京の生き馬の目を抜くようなIT業界の最前線で、経営戦略のプロフェッショナルとして存在感を示し、その経験を持ってコンサルタントとしても活躍。自らのオーナービジネスを動かしながら、スタートアップ支援も行っている。
そんな彼が「沖縄に救われた原体験がある」と、ウェルネスツーリズム事業を立ち上げようとしている。

 

「2023年1月に『株式会社琉球ウェルネス』を立ち上げて、法人向けに「体験型研修プログラム」を主軸に、並行して個人向けにもウェルネスツーリズムの提供を予定しています。宿泊、スパやヨガのセラピスト、食といったウェルネスコンテンツの提供事業者を、顧客の希望に特化したセミオーダー型の商品設計を行います」

 

近年、癒しを軸としたウェルネスツーリズムが注目を集めているが、この分野に的を絞ったのは、道廣さん自身の経験があった。

 

「東京での仕事は刺激的でやりがいも凄まじいもの。何事にも代えがたかったんですが、ハードワークのしすぎで心身共に疲弊してしまう場面もあったんです。でも、そこを救ってくれたのが沖縄での時間でした。
東京に居たら『もっと期待に応えなきゃ』『もっとスキルを磨かなきゃ』と考えるんですが、沖縄に来ると東京の自分を労わる視点を持てたんです。
沖縄で癒されてリコンディショニングすると、東京でまた仕事を頑張れたんです。この僕の原体験を提供したいというのが、事業に根っこにあります」

 

コンセプトは‘資本主義の中で、自己犠牲を払いながら全力で戦う「経営者/ビジネスリーダー」が、沖縄の豊かな自然や文化のもとで、それぞれの望む方法で、明日への活力を得られる旅’

 

「そういう意味では、この事業の一番のターゲットは‘僕自身’なんです」

 

 

【「大から小へ」意義のあるムーヴ】

仕事が最優先という生活を送っていた。そして求められることに応えることに確かな喜びを感じていた。
そんな生活を送っている中、次第に「規模」から「意義」に方向性を見出す。

 

「大学を卒業して初めて入社したのはリクルートでした。誰もが知る企業価値約7兆円(22年11月時点)の巨大企業です。
その後は、サイバーエージェントに入社しインターネット広告に関連する事業を複数経験、最終的には全社肝いりの事業である、ABEMA事業で広告をマネタイズするチームにいました。ここも企業価値約7000億円(22年11月時点)と大きい会社でした」

 

一般論で言うと、より大きい企業への転職を目指しそうなものだが、道廣さんは大手からどんどん小さいところに移っていく。

 

「次に、スモールチーム向け店舗DXプラットフォームの『STORES』を運営するヘイ株式会社(のちにSTORES株式会社に改称)に移りまして、経営チームの一員として、ビジネス部門の統括をしていました」

 

キャリアを積んでいく中で、自分らしい価値観が浮き彫りになっていった。

 

「ミッションに応えるというフェアウェイな働き方をする中で、たくさんの刺激と面白みを感じる毎日で、感謝でいっぱいではあったのですが、次第に自分が「本当にやりたい」と思うこと=マイウェイは何か?ということを自身に問いかけるようになりました。その結果、自分である意味と意義を感じることに心血を注ぎたいと思ったわけです。そのマインドを起点として、沖縄での事業の選定に入りました」

 

 

【新たな挑戦、沖縄での可能性】

7兆円企業からスタートして、一人での起業。世界都市トーキョーの最先端でやってきたこれまでの経歴に未練はなかったのだろうか。

 

「元々、妻の地元である沖縄に移住して起業するというプランはありましたが、フルリモートな働き方になったこともあって早めに実現しました。自分がやりたい形を突き詰めたら今になりました。これまでと変わらず東京でも沖縄でも自分の価値を提供できると思っています」

 

沖縄の可能性についてはこう話す。

 

「東京と比べると情報や機会の格差はありますが、10年前から考えるとかなり差は小さくなったと思います。沖縄は東京と3時間で行き来する交通の便も良いです。沖縄は勝負できる場所だと思っています。
何より、自分がこの土地に救われたように、沖縄の資源を活用してひとりでも多くの人の幸福度の向上に役立ちたい。そしてビジネスを通じて沖縄に貢献したい、という想いでいます」

 

これまでの歩みが踏み固まって、今に集約されている。
沖縄から幸福主義を追求する事業で、世界を照らす。

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